「ジャッキー・ロビンソン・デー」に感じよう。メジャーリーガーのすてきコトバ10選

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「不可能」の反対は、「可能」ではない。
「挑戦」だ!

ジャッキー・ロビンソン

プロ野球開幕の余韻がまだ残る4月15日。野球の母国アメリカでは、「ジャッキー・ロビンソン・デー」を迎えます。近代メジャーリーグにおいて初の黒人プレーヤー、ジャッキー・ロビンソン。その功績をたたえて選手・監督がそろって「背番号42」をつけてプレーします。「背番号42」は唯一のメジャーリーグ全球団共通の永久欠番です。

そこで今回は

メジャーリーガーが贈る 10 のすてきコトバ

をご紹介します。

ジャッキー・ロビンソン

1947年4月15日、ブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)のエベッツ・フィールドで野球史に新しい扉が開かれました。

近代メジャーリーグ初の黒人プレーヤー、ジャッキー・ロビンソンがデビューしたのです。

人種差別が色濃かった時代、メジャーリーグには白人選手しかいませんでした。有色人種を排除する中、アフリカ系アメリカ人選手としてデビューを果たし、その後の黒人選手への門戸を開き、人権問題にも1石を投じました。

冒頭でご紹介したコトバは、70年たった現在でも僕らに勇気を与えてくれます。

一流になれ、そうすればものが言える。

メジャーデビューを果たした彼には野球以外に「差別」という大きな壁が立ちはだかっていました。 野球選手になった以上、野球で相手の口を封じるしか方法はありません。 誰も文句が言えない成績を残してジャッキー・ロビンソンは敵を見返すことに成功しました。

マーク・クルーン

1991年ニューヨーク・メッツに入団。横浜ベイスターズ、読売ジャイアンツでクローザーとして活躍しました。2008年には当時日本最速の162kmを計測した速球派のピッチャー。日本での背番号は『42』でした。

彼はどんなことにも、決してあきらめることがなかった。今、僕のような黒人選手がこうして野球で家族を養っていけるのは、彼のおかげだ。

クルーンにとってヒーローであったジャッキー・ロビンソンへの感謝のコトバです。アメリカでは背負うことのできない「背番号42」。ジャッキー・ロビンソンに 敬意と感謝の心を持ってプレーしていたクルーン選手、素晴らしいですね。日本でプレーする外国人選手にとっては憧れの背番号で多数の「助っ人外国人」たちがつけていました。

野茂英雄

近鉄・ドジャース・メッツ・タイガース・レッドソックスなどで活躍した日本人メジャーリーガーのパイオニア。背中を打者に向ける独特の投法「トルネード投法」は当時全米を沸かせました。

なれるとかなれないとか考えていたって
一歩も前には進めません。
やるかやらないか
それしかないのですから。

ジャッキー・ロビンソンが黒人プレーヤーに道筋をつけたのと同様、日本人プレーヤーにメジャーでの道筋をつけたのが野茂英雄選手です。 日本での実績は申し分なかったとはいえほぼ前例がない中での戦い。野茂さんが残した数字とその功績は今でも高い評価を受けていますが、全てはこのコトバに込められた強い意志が生み出した結果なんですね。

ジム・モリス

35歳の時にメジャーリーグの入団テストを受け、タンパベイ・デビルレイズに入団。彼のデビューは「The Oldest Rookie」と称されました。

夢を叶えるのに
“遅すぎる”
なんてことはないのさ。

元々は野球選手としてプレーはしていましたがメジャーに昇格することなく引退したジム・モリス。その後高校教師をしながら野球部の監督をしていました。しかし「チームが地区大会で優勝したらプロテストを受ける」と生徒に約束したのをきっかけに入団テストを受け、合格します。その後、『オールド・ルーキー』という映画のモデルとして彼の活躍は描かれました。

ジョー・ディマジオ

1936〜51年までニューヨーク・ヤンキースで活躍したスーパースター。56試合連続安打という大記録はいまだに破られていません。

私を見るのが最初で最後の人が必ずいる。
その人のためにプレーしているんだ。

ディマジオはその打撃と華麗な守備で観客を魅了しました。しかし、彼の魅力はそれに止まらなかったと言います。紳士的な振る舞いや、ファンへの誠実な対応が「野球選手の鑑」と評されました。それを裏付けているのがこのコトバ。日本のミスタープロ野球、長嶋茂雄さんもディマジオを見本にしていました。

ケーシー・ステンゲル

1950年代にニュヨーク・ヤンキースを10度のリーグ優勝、ワールドシリーズを7度制覇した名監督。監督としての背番号37はヤンキースとメッツで永久欠番になっています。

運なんてものは、
練習をたくさんやった奴の
おまけなんだ。

この言葉を前に何も言えません。その通りですもん。やるしかないです。結果を残した人の言葉というものは、説得力を持ってダイレクトに脳幹を刺激します。

ジェイムズ・アンソニー・アボット

ジム・アボットとしてお馴染みの選手。生まれつき右手に障害を抱えながらも活躍した投手です。左投げの彼は、右利き用グラブを右手の手首の上に乗せ、左手で投球します。その直後にそのグラブを左手にはめ直す「グラブスイッチ」(アボット・スイッチ)と呼ばれる投法を用い右手のハンディを感じさせない活躍を見せました。

自分が障がい者だと思ったことなどない。
子供の時に野球を教えようと僕を庭に連れ出した父こそ勇気のある人間なんだ。

アボット選手の不屈の精神は、お父さんがくれた最大のプレゼントとなりました。ジム・アボット本人と同様に苦しく歯がゆい思いをしたであろう父親は「不可能はない」ということを僕らに教えてくれます。

イチロー(鈴木一朗)

日米で活躍するスーパースター。

準備というのは
言い訳の材料となり得るものを排除していく。
そのために考え得るすべてのことをこなしていく。

10年連続200安打や通算3000本安打、シーズン最多安打など数々の記録を残し続けているイチロー選手。出場機会がない時も、毎日入念なストレッチをして出番に備える姿からは「揺るぎない哲学」を感じます。イチロー選手が生きている時代に生まれた僕らは幸せです。最高のお手本を前にして、頑張らないわけにはいきませんね。


いかがでしたか?

『メジャーリーガーが贈る 10 のすてきコトバ』

成功を収めた人たちのコトバは語りかけます。

「謙虚に、一歩づつ進め。備えよ、その時のために。」と。

ジャッキー・ロビンソンはどんな仕打ちを受けても紳士的に対応したと言います。その姿勢は周囲の雑音を敬意へと変えて行きました。

そんな彼を野球の神様と呼ばれたベーブ・ルースはどのような思いを持って見守っていたのでしょうか。

ジャッキー・ロビンソンがメジャーデビューした時、ベーブ・ルースは52歳。きっと優しい笑顔でこう、語りかけたことでしょう。

君ならできる。世界は君のものさ。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

皆さんにとってハッピーな1日が訪れますように ♪

すてきコトバが届きますように。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする