映画「雨上がりの駅で」|老人と少女が織りなす3つのコントラスト

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雨と光、絶望と希望、無表情と笑顔。

そのコントラストがとても心地いい。

そんな作品に出会いました。


雨上がりの駅で

COMPAGNA DI VIAGGIO/1996/イタリア

監督:ピーター・デルモンテ

出演:ミシェル・ピコリ/アーシア・アルジェント

★★★★☆(星3.5)


あらすじ

家を飛び出し友達の家を転々と泊まり歩く、自由奔放な少女コラ。ある日、友達からおかしな依頼を受けます。痴呆症で放浪癖のあるおじいちゃんを尾行してほしい。何も考えずに引き受けた主人公コラ。
その日からコラはおじいちゃんの尾行はじめますが、おじいちゃんの行動はコラ以上に自由。その行動に振り回されるうち、気づけばイタリア中を彷徨うことになります。自由奔放だが生きる目的を見つけられずにいた彼女にとって、それは自分探しの旅となりやがて…。

先の見えない少女と先のない老人のロードムービー

コラはなんだか複雑な家庭事情を抱え、やけくそのように刹那的な生き方をしている心の荒んだ少女。恋人をつぎつぎに変えながら泊まり歩くあやうい生活をしていました。
そんなさまようように生きる彼女は軽い気持ちで、痴呆で本当にさまよっている老人コジモの尾行を引き受けてしまいます。
コラは尾行するうちにいろんな人と出会い少しづつ成長してゆきます。また老人コジモとの心の交流に何かを見出していく過程を描いたロードムービーです。

コントラストを表現した写真のような作品

生きる目的が見えずさまよう少女コラ。

失いつつある記憶の中で徘徊する老人コジモ。

いっけん対象的に見える二人が次第に心を通わせていく中で、二人の見せる表情がなんとも言えず優しくて印象に残りました。

特にコラを演じたアーシア・アルジェントのみずみずしさが時間を追うごとに増していく様子は、ひとりの少女の成長を実感させてくれます。この作品で初めて知った女優さんですが素晴らしい演技だったと思います。

コジモの突飛な行動に引っ張り回されるコラ。多少強引なストーリー展開ではありますが、イタリア中をさまよいながら、それぞれが感じる生きることへの怖さや希望、いろんな感情が交錯する中で一瞬交わる二人の心。その瞬間を切り取ったシーンに老人と少女のコントラストが見事に表現されているところがこの作品の最大の魅力でしょう。

素晴らしかったラストシーン

特に素晴らしかったのはラストの駅のシーン。
彼女の瞳が輝く瞬間をとらえたこのシーンは、邦題の「雨上がりの駅で」にピッタリでした。彼女が何かを見つけた瞬間かもしれません。カメラワークも秀逸でした。

コジモがすこしづついろんなことを忘れていく様は、渡辺謙と樋口可南子が共演した映画「明日の記憶」(2006/日本)のように切なく絶望的な様相を呈してきますが、この素晴らしいラストシーンがすべてを救ってくれるような気がしました。

めずらしく邦題がいい

原題である ”COMPAGNA DI VIAGGIO” は日本語に直訳すると「旅の同伴者」という意味です。これは尾行をしたコラのことを、そしてコラの生き方に寄り添ったコジモのことを表しているのでしょう。

外国作品の場合、原題のほうがストレートで良かったり、邦題に違和感を感じることがよくありますが、この作品に関しては邦題の「雨上がりの駅で」はとてもいいタイトルだったなと思いました。

ただこのタイトル、ややネタバレ気味かな、とも思うのですが…。

あなたはどう感じたでしょう。


いかがでしたか?

映画『雨上がりの駅で』は、成長と老いが交わる瞬間をみごとにとらえていたと思います。また、ノスタルジックでざらつきのある映像処理も魅力的な心地いい作品でした。

この作品との出会いに感謝します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ではまた別の作品でお会いしましょう。


今回ご紹介した作品はこちらです。

『雨上がりの駅で』


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