冬季オリンピックのたびに思い出すコトバがある。あの年は特別な冬だった。

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2018年2月9日 待ちに待った平昌オリンピックが開会しました。

今大会はスキージャンプの高梨選手、レジェンド葛西選手、スピードスケートの小平選手、女子団体パシュート。ノルディック複合の渡部選手、スノーボードの平野選手などかつて無いほどの金メダルが期待できる選手がたくさん出場しています。

そんなワクワクに心躍る冬季オリンピックだからこそ知ってほしい、あるいは思い出して欲しい冬があります。


今から20年前、特別な冬がありました。 1998(平成10)年、冬季オリンピック長野大会。20世紀最後の冬季オリンピック。 日本で行われたということもありますが、特別に記憶に残る大会となりました。 2月22日、長野オリンピックはたくさんの感動を残して閉会しました。

長野オリンピックは

  • 里谷多英さん(女子モーグル金)
  • 清水宏保さん(スピードスケート男子500m金、男子1000m銅)
  • 岡崎朋美さん(スピードスケート女子500m銅)

など日本人の活躍が目立った大会でした。

そんな大活躍の日本選手団の中でも印象的だったのはスキージャンプ・ラージヒル団体の金メダルではないでしょうか。

今回はスキージャンプ陣の中でも印象的だった原田雅彦選手のすてきコトバを4つご紹介したいと思います。

「ふなきぃ~、ふなきぃ~」

冬季オリンピック長野大会、ラージヒル団体3番目のジャンパーとして大会に挑んだ原田選手。悪天候の中、1回目は大失速の失敗ジャンプ。79.5m。
この時点で日本チームはメダルが遠のく4位。見ていた誰もがあの「4年前の悪夢」リレハンメル大会を思い出していたことでしょう。

天候はさらに悪化し一旦競技は中断。その後再開された2回目のジャンプ1番手の岡部選手のジャンプで日本チームは1位にたちました。期待とプレッシャーが原田選手にのしかかります。4年前のリレハンメル大会での失敗が心をよぎる中、彼は起死回生の大ジャンプを見せました。

美しくはないが、高くて、遠いジャンプでした。137m。

残るはラストの船木選手だけ。みんなが祈っていました。「船木、頼む!」と。
今度こそ金メダルを。。。

その時原田選手が発したコトバは寒さと興奮に震えたものでした。

「ふなきぃ〜、ふなきぃ〜」

4番目の船木選手は見事にジャンプを成功させ日本は団体で金メダルを獲得しました。
吹雪の中大喜びで抱き合うジャンプ陣をテレビで見て涙したのを今でもよく覚えています。

その後のインタビューで原田選手は嗚咽しながら

「4人でさぁ、たすきをね、渡しあったんだよ。」

「また、迷惑かけてんのかなぁ。。。辛かった。。。」

など震えながら話していましたが

私の心に残ったのは

でもね。屋根ついてないからしょうがないよね。

悪天候の中で1本目の失敗ジャンプについての心境を聞かれた時のコトバです。
「原田さん、いいひとだなぁ」って思わせる一言でした。
1本目の失敗も天候をいいわけにしない姿は競技者としては当然の心構えなのでしょうが清々しい印象を受けました。

競技をやめてしまったら、課題を乗り越える楽しみなんか味わえないんだから。

「4年前の悪夢」 長野オリンピックの前回大会、リレハンメルで原田さんは大失敗を犯しています。

リレハンメル大会でジャンプ競技は最終滑降を残して日本スキージャンプ陣は首位。誰もが金メダルを信じて疑いませんでした。

2位に大差をつけての1位で、最終4番手は原田選手。「日本の金メダルは間違いない」そんな状況の中、原田選手のジャンプはまさかの失速。日本は目前に輝いていた金メダルを逃します。日本中ががっかりした瞬間でした。

この失敗ジャンプにより、大会後原田さんは日本中から大バッシングを受けることになりました。その後も1年以上、さまざまな嫌がらせが続いたそうです。原田さんの優しそうな印象やいつも笑顔なところが逆に仇になったのかもしれません。

そういった苦しい状況の中でも自分を見失うことなく、自分の弱点に向き合った原田さんのコトバはとてもシンプルで心に響きます。


原田さんは現在コーチ、解説者として活躍なさっています。
2014年ソチオリンピックでは解説者としてこんなことばを残されています。

スキージャンプ女子・高梨紗羅さんが金メダル確実と言われていた中、風の影響から思うように距離が伸ばせず、逆転が期待された2本目も挽回できず総合4位に終わった時、原田さんはこう話し始めました。

高梨選手はこれからもいい訳しないだろうから、あえて僕がいい訳させてもらうと…。

このコトバの後、ジャンプ台では風が舞っていて非常に難しい状況にあったこと、風はジャンパーにどれだけ影響をおよぼすのかを解説されていました。

競技を終え失意の高梨選手は悔しさを胸に秘め、応援してくれた人へ謝罪と感謝のコトバを口にしました。

風のことはいっさい話さずに。。。

ジャンプの難しさ、一瞬で変化する環境の恐ろしさを知っているからこそ原田さんは話さずにいられなかったのでしょうね。

このコトバには泣けました。 原田さんの人柄が滲み出た優しい優しいコトバでした。


今回は原田雅彦さんのことばをご紹介しましたがみなさんの心には何が残ったでしょう?

最後にもう一つ。

今ではすっかり主流になっているV字ジャンプですが、日本人で初めてV字ジャンプを飛んだのは原田さんなんですよ。

「高く、遠く、」その追求心が原田雅彦さんを飛躍させる風を呼んだのでしょうね。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
皆さんにとってハッピーな1日になりますように。

2018年2月、平昌オリンピックが真の平和の祭典でありますように。

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