私が登頂できずに下山して帰ってくると、周りからは「失敗した」って言われるんです。
でもそれはちょっと違います。
成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗とは「何もしないこと」です。
〜 登山家 栗城史多
登山家の栗城史多さんが2018年5月21日にエベレストで亡くなりました。35歳、8度目のエベレスト単独無酸素登頂にチャレンジしている最中のことでした。
2009年から毎年のように「エベレスト単独無酸素登頂」を目指してきましたがいずれも敗れています。2012年のチャレンジでは重度の凍傷にかかり、両手の指9本を切断しました。
それでもあきらめなかった栗城史多さんの生き方は、ボクらの魂を激しく揺さぶるようなメッセージをたくさん送ってくれています。
そこで今回は
登山家・栗城史多|「冒険の共有」を支えた11のすてきコトバ
をご紹介します。
壁に立ち向かう心
栗城史多さんは普通にエベレスト登頂を目指していたのではありませんでした。彼が目指したのは「エベレストを単独で、酸素ボンベなしで登頂」というもの。
しかも、最難関ルートとされる南西壁からの挑戦。専門家は「無理だ、無謀だ」と口を揃えたそうです。
そんな大きな挑戦に挑む彼の心はどのようなものだったのでしょうか?情熱的であっただけではなく、その半面で不安な気持ちに襲われていたことでしょう。
彼のコトバはその不安をどのように受け止めコントロールすればいいのかを教えてくれます。
「不可能」自分自身が作っていた幻想だと気がついた。
成功や失敗ではなく、この壁を超えてみたい。
あらゆる不安を受け入れよう。
それより、いま生きていることに感謝しよう
チャレンジすることの大切さ
栗城史多さんは「冒険の共有」をテーマに登山や講演活動を行なってきました。
「エベレスト単独無酸素登頂」と「頂上からのインターネット中継」これによって彼の冒険を多くの人々と共有し、それを見た人たちが新たな挑戦を始めたり、勇気を持ったり。そうやって人の役に立ちたいと考えていたのでしょう。
チャレンジすることの大切さを、彼は身をもって伝えようとしていたのだと思うのです。
何かに挑戦すると、それを誰か見ている。
それで、そこから派生していろいろな人と繋がることもできる。
変な言い方になるけれど、馬鹿になることも大切だと思う。
本当は誰もが、どこでも行きたいところに行ける。
やりたいことは、なんだってできる。
そういうものなんだってことを
一人の男が泣いたり笑ったりする姿を通して
感じ取ってもらいたい。
人生とは
彼の生涯は35年、あまりにも短いものでした。しかし、誰もやってこなかった挑戦を続けてきたその生き方に、沢山の人が共感し何かを感じました。
栗城史多という人間は「生きる」ということをどう考えていたのか。
ここに彼の哲学があります。
人生は目的地に向かって進むより
目的地を見つける方が難しいかもしれない。
長く生きられたかどうかは関係ない。
大切なのはいま、どう生きるかだ。
生きることは、何かに一生懸命打ち込んで
そこに向かって命を燃やしていくこと。
いかがでしたか?
若くして亡くなってしまった栗城史多さんですが、いつもひたむきに自分を信じ、仲間を大切にし、誰かの役に立ちたいという思いはきっと新たな挑戦者を生み出し、彼のコトバと思想は永遠に記憶され続けるでしょう。
エベレストに敗れて指を9本失い、チャレンジしてまたも敗れて今度は命まで落としてしまった。だけど「それでも僕は幸せなんだ。」と栗城史多さんは爽やかに笑いながら天国へと旅立ったのではないでしょうか。
彼のコトバを振り返ってみるとそんなふうに思えてなりません。
最後にもうひとつ栗城史多さんのすてきコトバを。
ありがとう。
すべてのことに感謝する。
いいことにも
悪いことにも。
栗城史多さん、ボクらに勇気と情熱をありがとう!