なにはともあれ、結婚しなさい。
良妻を得れば、幸福になる。
悪妻を得れば、あなたは哲学者になれる。〜 ソクラテス
有名なコトバですが、これは妻の悪口ではなく、ソクラテス流の「ジョーク」か「愛情表現」なんじゃないかぁ〜とボクは思うんです。
4月27日は『哲学の日』
古代ギリシャの哲学者・ソクラテスが裁判にかけられ処刑された日です。
宗教的な考えの違いなどから無実の罪で投獄、処刑されたソクラテスですが、その裏には複雑な政治的背景がありました。
今から約2400年以上前、紀元前399年のできごとです。
書物を残さなかったソクラテスのコトバは、弟子のプラトンやアリストテレスらによって現代に伝えられています。
哲学ってナンダ??
ここ数年、書店で哲学に関する書籍を目にする機会が多くなりました。
アドラーやニーチェなどの名前がタイトルを飾り、その書籍への期待感を高めてくれます。
平積みにされたそれらの書籍は軒並みベストセラーになっています。
ドラマにもなった。 けど…。
心理学者、アルフレッド・アドラーの思想を対話形式で紹介した『嫌われる勇気』は150万部を超える大ヒットを記録し、ドラマ化もされました。
ただし、ドラマの方は脚本内容が乏しく、キャストもいまいちで視聴率は振るわず、アドラー心理学の解釈が浅く、日本アドラー心理学会からクレームをつけられるなど散々な結果だったようですが…。
哲学って?
ベストセラーにもなり、ドラマにもなるほど人気の『哲学』。
しかし、コトバとしての『哲学』にはカタい印象を持つ人が多いのではないでしょうか?
人間の本質を追究する学問。
とても抽象的で宗教的でわかるようでわからない世界。それが哲学。
ボクはそんな印象を持っています。
ネット上を見ても哲学の定義はさまざまありますが「これ!」という答えは見つかりません。
人の数だけ答えがあって、何が何だかわからなくなってしまいます。
「きみ、それこそが哲学だよ。」
そう言われても困ります(笑)
哲学の「哲」って?
例えば「数学」は「数」の学問。
「言語学」は「言語」の学問。
「経済学」は「経済」の学問。
なるほど。
じゃあ、
「哲学」は「哲」の学問。
哲? てつ? テツ?
漢字を分解するとこうなります。
「ばらばらになった草・木の象形と曲がった柄の先に刃をつけた手斧の象形」(「斧で草・木をバラバラにする」の意味)と「口」の象形から、「道理を明らかにする」を意味する「哲」という漢字が成り立ちました。
引用:漢字漢和語源辞典より
「哲」という字には、「知る」とか「明らか」「かしこい」といった意味があります。
知る学問、ものごとを明らかにする学問、かしこくなる学問!?
要するに「学問そのもの」ではないでしょうか?
すべての学問の素!
どうりで、実態が見えないわけです。
語源
ギリシャ語で「φιλοσοφία」ラテン語の「Philosophia ピロソフィア」が語源で「知を愛する」という意味があります。
明治時代の洋学者・西周(にしあまね)が「希哲学」と訳したのがいまの「哲学」という表現になりました。
哲を希(のぞ)む →「かしこくなりたいよ〜」
から
希み →「かしこくなる!」
に変わったんですね。(あくまでも個人的見解です)
で、哲学とは
人間はいつもいろんなことを知りたがります。
知らないことは知りたくなるし、なぜだろうと考える。
そして、知識として蓄積する。
その知りたいという欲求を『哲学』と呼ぶのではないでしょうか?
哲学の「学」は、学問の「学」ではなく
「学びたい気持ち」や「学ぶという行動」だと思うのです。
いろんなこと知りたいなぁ、かしこくなりたいなぁ。
だから調べてみよう。教わろう。
それが僕の考える『哲学』です。
『無知の知』を知る人、ソクラテス
たくさん知識があるがゆえに人を見下したり、偉そうにする人っていますよね。そういう人は大抵あさ〜い知識しかなく、自分の意見がありません。
ソクラテスの時代にもそういった人がたくさんいて、そういった価値観がありました。
神の信託として「ソクラテス以上に知恵のある人物はいない」とまでいわれた知識人でしたがとても謙虚な心の持ち主でした。
「自分にはたくさん知らないことがある」ということを私は自覚している。
いつもそう考え、多くの人と語り合いました。
『無知の知』
といわれるその考えこそ、哲学の原点であるように思います。
悪妻の日
4月27日はソクラテスという偉大な人を失った残念な日なのですが『悪妻の日』としても知られています。
ソクラテスの奥さん・クサンティッペがひどい悪妻として知られることからそう呼ばれるようになりました。
ずいぶん、乱暴な理由だと思います。ひどすぎませんか?
自分の旦那さんが処刑された悲しい日に、自分のことを思いっきりディスられるなんて。
クサンティッペさんがいくらなんでも可哀想すぎる!
悪妻とよばないで
蝉は幸せだな。
なぜなら、物を言わない妻がいるから。
クサンティッペはとても気性の激しい女性でした。また、ソクラテスがクサンティッペに関するコトバをたくさん残していることから『悪妻』と呼ばれたのですが、決して別れることはありませんでした。
ソクラテスが無実の罪で投獄され処刑された時も、悲しみのあまり取り乱して涙したといわれています。
当時の政権が投獄しなければならないほどソクラテスは影響力のある人物でしたが、金銭欲がなく収入は少なかったと言います。奥さんのクサンティッペがそれを支えていたからこそ、ソクラテスは自らの活動ができたのではないだろうか?と思うんです。
本当にうっとうしければ、別れるだろうし、コトバになんかしません。
本当に嫌いなら、嫌いと言わずに知らん顔をします。
ソクラテスのブラックジョークは奥さんへの「思い」の裏返しなんじゃないのかなぁ、とボクは思うのですが…。
何人も本意から悪人たるものなし。
ね、悪妻なんていないんですよ。
この世界には。